ホームSODロイヤル愛用者の声 > 愛娘とのアトピー難民闘病
 

 ピックアップ 018


 愛娘とのアトピー難民闘病
  木村祐作
さん 男性

 
   今回インタビューさせていただいたのは、健康や医療関係の情報を発信する側の会社にお勤めの木村さん。実は6歳になるお嬢さんが大変なアトピーで苦労されたとかで、丹羽療法にたどり着くまでに実に4年余りもの歳月、アトピー難民として右往左往されていたそうです。
 
   木村さんが愛娘の肌がおかしいなと感じ始めたのは、生後1年目のことだった。最初は頬に帯状の発疹ができ始め、それがあちらこちらにできては消え、消えてはできの繰り返し。近所のかかりつけの小児科で塗り薬を処方してもらうが、いっこうに良くならないどころか、悪化の一途をたどっていた。「小児科のお医者さんは、とてもていねいに診て下さったのですが、ステロイドの塗り薬という対処療法でしかなかったので、これはやはり皮膚科専門のお医者さんに診てもらったほうがいいなと」
   そこで人づてに聞いた有名らしい#逡科の専門医に行くことになる。「言われたのは、原因はホコリやダニかもしれないから、まずは部屋のそうじをすること。次に食事からもしれないからアレルゲンを取り除こうと。加えてステロイドの塗り薬。もちろん掃除もしたし、食事も気をつけはしましたが、無菌状態の中で生活するなんて無理なことですよね」
   しかも、お嬢さんの症状は全く良くならないどころか、どんどん悪くなっていく一方。夜も寝られないという悲惨な状態になっていた。2歳という可愛い盛りの娘さんが夜も寝られないくらいに苦しんでいるのは、親としていてもたってもいられない心境だっただろう。「病院や治療院、そりゃ必死に探しましたよ。噂、口コミ、インターネット。そんななか次に見つけたのが食物アレルギー専門の先生」
 
   アトピー=食事療法という図式は丹羽先生の土佐清水病院でも実践されていること。しかし、木村さんの通った病院は、どうも様子が違うようだった。「今考えると怪しいんですが、食物はなんでもかんでも電子レンジでチンしてから食べろというんです。アトピーのもとになるタンパク質の構造がチンによって変化するからと。そして一切ステロイドは使うなと。その場で先生にいろいろ説明を受けると、そうなんだと納得してしまうものなんですね」
   確かに、世の中には様々な療法が蔓延している。切羽詰まった当事者にとってはどんな療法でも試してみたい、という想いの強さがある。だから、多少の矛盾も思い込み理解できてしまうのかもしれない。「水も薬も、アイスクリームまでも、とにかくなんでもかんでもチン。困るのは外食したときでしたね。除去食ならそのメニューを選ばなければいいんですが、チンはそうはいかない。お店の人にすみません、うちの子が病気なので電子レンジでチンしたものしか食べられないんです≠ニ言ってチンをしてもらっていたんですが、みなさんにヘンな顔をされましたね。なのに一向に良くならなんです。というか、ひどくなっていった。散歩をしていても行きかう人にかわいそうにね≠ニ言われてしまう。それくらいひどかったんです。皮膚はほとんど象の皮みたいになっていましたね」
   夜はかきむしって眠れない。布団は血に染まり、親子ともども疲れ果てていた。お嬢さんは4歳になり、何事もなければ小学校になるのを楽しみにしている時である。「私はまだ会社に行っている間は変な話、アトピーのことからは逃げられる。しかし、妻は正直、限界に近かったと思います。小学校に上がってもこのままじゃスカートも着せられない。イジメにあうんじゃないかと心配していましたね」
 
 
   最後の賭けだった丹羽療法
 
   八方ふさがり、もうお手上げというときに、東京駅近くにある八重洲ブックセンターに行った。ここは日本でも最大級の規模のブックセンターであり、医療の専門コーナーだけでも他店の10倍くらいのスペースを設けている。「ここで、名医がいる病院ベスト100を紹介した本を見つけたんです。そして、いくつかの病院をリストアップされているなかに土佐清水病院があったんです。それも、ベスト100の病院ではなく欄外に囲み記事でひっそり紹介されていた。しかし、アトピー治療のことが書かれていたので、なざか目に止まったんです。そこで、この本と丹羽先生の『全国のアトピー患者が信頼するこれだけの理由』という単行本を購入しました」
   丹羽先生の本は立ち読みした段階で、なぜか気になったという木村さん。丹羽療法は、これまでのステロイドを使う、とおりいっぺんの西洋医学ではない。かといってステロイドは絶対にダメという民間療法でもない。丹羽先生という医師が独自に研究した活性酸素を始めとしたメカニズムに可能性を感じたという。さすがにそのあたりは編集者の勘だった。「でも、土佐清水は遠すぎて悩みましたね。その前に『ベスト100』の本にある大きな病院が第一候補。土佐清水は3番目くらいの位置でした。でも、直感としては土佐清水がいちばんでした。いざというときの切り札として取っておきたい、ここに入院するときは最後の賭けだと思っていました」
   そして購入した丹羽先生の本を読み、ホームページを見ていたところ、全国に分院ともいえる診療所があることを発見。「通えるなら丹羽療法をやってみたいと思い、すぐに新横浜の診療所に行きました。それが2年前の夏の終わり頃でした。息子もいるので、息子は僕が面倒見て、妻が娘を診療所に連れて行ったんです。そうしたら、土佐清水に入院する一歩手前だと言われたそうです」
   治療にあたったのは丹羽先生の息子さんで千葉のガンセンターから数年前に丹羽先生のもとにいらした住(すみ)先生。「まず言われたのだ、かゆみがひどいときは薬を塗っていいです。ということだったんです。しかも強い薬を。驚きました。というのもその前のチン治療(笑)では絶対にステロイドは使っちゃいけないと言われ、ずっと使わなかったから。先生は、まずかゆみや炎症などを治めましょう。それからしっかりと根本治療しましょう、とおっしゃって、すごく納得しました」
 
   そうして最初の一週間が過ぎた。見た目の症状は一気に改善された。強い薬を塗ったのだから当たり前のこと。「この改善は仮の姿だと分かっていても、精神的にすごくホッとしたんです。なによりも娘が夜、一度も起きなくてぐっすり眠ってくれたんです。もうこれだけで僕らの負担まで軽くなり、妻も久しぶりにゆっくり眠れたと言ったんです。妻は本当に必死だったんです。治療前にすべての本を熟読していましたから、久しぶりに眠れたと言われたときは、正直、救われました」
   本格的な生薬治療が始まってからも症状は改善に向かい、3ヶ月。「たった3ヶ月で、10あったダメージが7くらいまでになっていたんです。そりゃ嬉しかったです」
   たったの3割治っただけととる人もいる。しかし、木村さんたちにとっては劇的とも言える変化だった。「だって、これまでは悪くなることはあっても良くなることがなかったんですから」
 
   初診から2年経ったいま、お嬢さんは気づくとスカートを当たり前のようにはいて、元気に小学校へ登校されているとか。「夏場や季節の変わり目は少し悪くなるのですが、2年前に比べるとものすごく良くなっていることを実感しますね。なによりも夜起きる回数が激減したこと。足首と手首を覆っていた象の皮のような皮膚がきれになったこと」
   今はルイボスTX1日2回とSODを1日2包。4種の塗り薬を症状に合わせて塗り分けている日々。一時使っていた沈静化のための強い薬も今は一番弱い薬に替わった。「食事指導もあり、肉類、ナッツ、乳製品などと基本的に油っこいものは食べられないんですが、年に一度の誕生日やクリスマス、学校の行事などではケーキを食べていますよ。先生もそのくらいは、食べないでストレスがかかるよりもいいと言ってくれるんです。そういう幅のある治療が嬉しいですね」
   日ごとに良くなっていくなか、目下の課題は学校給食。学校の協力で除去食を作ってもらってはいるが、体制の変化などで作れなくなると言われたことも。
   アトピー性皮膚炎で悩むお子さんが増えている昨今。給食を義務化している小学校で、除去食を作ってくれる学校はまだわずかだと聞く。学校内に炊事場があり、学校内で作れる場合はまだ勝手もきくが、学校に炊事場がなく、業者に一括依頼している場合は難しいとか。
   当事者にとっては切実な問題だ。国や自治体には学校に働きかえるようなシステム作りを望みたいもの。
 
 
   今回の木村さんからは、マスコミに従事する父ならではの問題定起をいただきました。お忙しいなかありがとうございました。「僕、実は、まだ住先生にも丹羽先生にもお会いしていないんです。いつも妻が診療所に行っていましたら。機会があればぜひ、先生にお会いしたいです。お礼も言いたいです」
   ぜひ、ご一緒しましょう。

 


103