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 乳がん、子宮の病気、悪性リンパ腫
 数々の病魔にSODと共に打ち勝った人生
  北島静子さん (75歳) 女性

 
  
モデルから宝石デザイナーとして活躍
   その華やかな裏で数々の病魔が襲う
 
   今回インタビューにお答えいただいたのは神奈川県 にお住まいの北島静子さん。彼女の病歴だけを拝見していると、よく75歳のこのお歳までお元気でいられたなと驚くばかりです。その病歴は、乳がん、子宮の病気、悪性リンパ腫、そして現在も股関節の軟骨損傷による手術でリハビリ中。しかし、電話口から伝わるそのお声はお元気そのもの。しかも若々しい。理路整然とわかりやすく病状の説明をしてくださって、お歳を確かめたくらいでした。その理由はすぐに判明しました。なんと、北島さんはその昔、雑誌などの第一線でファッションモデルをされていたのです。そして今は宝飾デザイナーをして現役でいらっしゃるとのこと。バリバリのキャリアウーマンですからしっかりしているのは当然のことでした。なんでも、お嬢様もずっとモデルをされていて、結婚出産を経た今も一線で活躍中とか。「SODとはもうかれこれ20年もの付き合いになりますね。懇意にしていたインポートものを扱っていたお洋服のお店の方から勧められたのがキッカケでした。というのも、私、元気そうに見えて、いろいろ大きな病気をしてきたんです。もともとのアレルギー体質もあり、そんな私の話を聞いて、いい健康食品がるわよと勧めていただいたんです。健康食品といってもほんとうにたくさん出ていますから、そのチョイスというのは出会いでしかないとは思うのです。私の場合は、このSODを勧められる前に飲んでいた健康補助食品がありました。それは、開発された方の息子さんがリンパ腫になって抗がん剤に変る副作用のないものはないかと開発されたものでした。そしてSODでしょ?丹羽先生のご本をいろいろ読ませていただいたら、同じような動機から開発されたものですよね。これはなにかのご縁かもしれないと思ったんです。もちろん、ご本などを拝見するにつけ、理にかなった本物だと思いました」
 
   乳がん手術で細菌が!再手術では助骨を切り
 
   北島さんがSODを飲むようになったのは20年ほど前、50歳過ぎでした。しかしその前に彼女はがんなどで何度も手術を受けていました。最初の手術は、37歳のとき。乳がんでした。
   左の乳房全摘という手術を受けなければいけないということでずいぶん悩まれたと思います。というのも当時、モデルとして活躍されたいたのですから、乳房摘出手術はモデルを廃業することを意味する選択でした。しかし、命には代えられません。乳房摘出手術に踏み切ったのでした。
   ところが、その手術がとんでもないことに。「乳がんの手術自体は成功だったのですが、手術のときに空気中の菌が助骨に付着するということが起こったんです。というのも、当時の病院は今ほど厳密に殺菌されていなかったんですね。目に見える場所の殺菌にいっぱい、いっぱいでエアコンのダストまでは殺菌されていなかった。そんななかで冬の朝一番に手術が始まり、手術室に入ってすぐに暖房をつけたんです。そのときに空気中にエアコンのダストについていた細菌が飛散したんですね。その細菌が手術で胸の皮をはいで露わになっていた私の肩甲骨や助骨に付着したというわけです」
   乳がんに手術は成功し、そのときは細菌が北島さんの体内に入っているなんて誰も思いもかけなかったといいます。そうして1ヶ月後。手術後はきれいに治ります、これで一安心と思っていたら、突然、肩甲骨のあたりが腫れ、高熱を発し、尋常でない状態になったのです。「病院で診ていただいたら、骨に異常がみられるのですぐに手術だと。そして手術をしたら、肩甲骨の下の助骨が一本、雑菌で腐っていたんです。ですから骨を切り取るという大手術でした」
 
   40年前の出来事でした。40年前の日本はというと、高度経済成長の真っただ中でした。田中角栄が総理になり、日本列島改造論の構想の下、高速道路、ビルの開発が盛んに行われていました。大阪万博、札幌オリンピック、マクドナルドの1号店開店など、世界の先進国の仲間入りをしたばかりでした。ハード面が先行し、安全などのソフト面が遅れていた時代だったのかもしれません。北島さんの手術のように今では考えられないような事故がたくさんあったはずです。薬害エイズ事件でも1980年から10年間の出来事ですから、本当に日本の医療が近代化されたのは90年代に入ってからのことかもしれません。
 
   会社設立もつかの間、子宮摘出、悪性リンパ腫、次々と病魔に!
 
   北島さんはそんな時代に働く女性として一線を走っていたのです。しかも2度の大きな手術を乗り越えたのでした。モデルを引退したものの「体調が戻った39歳の時に今度は会社をたちあげたんですよ。宝石などのデザインをする会社を始めたんです」
   都心にオフィスを構え、自宅のある神奈川県の湘南から毎日電車で通勤されていたとか。それもグリーン車通勤。車内はほとんど貸切状態だったそうです。まさに、北島さんはセレブなキャリアウーマンの先端を歩いていらしたのです。それにしても男性顔負けのバイタリティの持ち主です。
   しかし、取り戻した健康もそうは長く続きませんでした。よく丹羽先生も言います。がんは決して完治はしない。がん体質なのだから、日々、ストレスのないゆったりとした規則正しい生活と肉乳製品を控えた食事が大事だと。北島さんはまだ40代になったばかりでしたし、仕事に燃えていましたからなかなかそんな生活は送れません。案の定。「42歳のとき、今度は悪性の子宮筋腫、つまり子宮がんの一歩手前の状態だったんです。このままではがんになるというので子宮と卵巣を摘出しました」
   それでも仕事はやめなかった北島さん。宝飾品の買い付けなどで年に数回は海外にでかけ、ヨーロッパ中を飛び回っていたそうです。とにかく動き回るのが大好きとおっしゃる旺盛な好奇心。これは病気だからといって抑えられるものではないようです。そんな彼女を支えるようになったのがSODでした。「子宮摘出のあとから飲み始めました。このSODがすばらしいものですから、無理をしてもSODのおかげで疲れにくいものですから、ついついまた無理をしてしまうんです。ヒールのパンプスをはいて駅の階段を上り下りしても、まったく苦にならなくなったんです。更年期さえも感じないままに乗り越えていましたね」
 
   SODの効果が、幸か不幸か北島さんをさらに仕事人間にしてしまったようです。モデル時代からつちかわれた北島さんのセンスは多くの人を魅了し、仕事は順調そのものでした。オフィスに泊まり込んでの徹夜作業もしばしば。さらに今日はイタリア、明日はニューヨークと世界中を飛び回り、一息つく間もない忙しさでした。そんな生活が10年あまり続いたある日のことでした。「なんか口の中に唾液がすごく溜まるんです。そのうちに左の首のうしろのリンパが腫れてきて、これはおかしいなと。それで検査をしてもらったら、やっぱり、きました。今度は悪性リンパ腫でした。先生のお話をうかがったり、いろいろ調べたりしますと、抗がん剤などの化学療法治療しかなく、5年以上の長期生存率が30%くらいだと知り、さすがに今度は難しいかなと思ったんです。でも、私にはSODがあると思うとがんばれそうな気がしたんです」
   そうして北島さんは入院して悪性リンパ腫の抗がん剤治療に入りました。9年前、65歳のときでした。「そのときは、ああ、またきとかと。はい、いらっしゃい。私にはSODもあるし、大丈夫。仕事に夢中になりすぎたのですから、自業自得だなと。決して怖くはなかったです。やはり病は気持ちが大事ですね」
 
   大量摂取で副作用ゼロ!SODは私の戦友です
 
   「通常は4包飲んでいたSODをこのときは朝昼晩に10包ずつ飲みましたね。1日に30包。抗がん剤は、当時まだ日本では認可されていないかった抗がん剤、リツキサンを(注1参照)処方していただいたんです。私の治療のちょうど1ヶ月後に認可されたんですよ。私の時はまだだったので保険が効かなくて1本30万円くらいしました。高かったですね。それを6本投与しました」
   この抗がん剤は、吐き気で食欲が落ちたり、白血球が急に減って体がだるく、熱が出たりする副作用が見られます。「それが私には全くなかったんです。入院していた病棟のフロアは同じ病気の方ばかりで、お隣の病室からゲーゲーと吐かれている音とか、苦しんでいる声がひんぱんに聞こえてくるんです。なのに私は逆に食欲が出て、先生方がびっくりされていました。しかも白血球の数値も落ちなかったんです。ですから入院中にどこそこのケーキが食べたい、おはぎが食べたい、あそこのパン屋のパンがおいしから買いに行ってくる、なんて言ってましたね。こんな入院患者いませんよね」
   いやはや入院されても北島さんらしい闘病風景です。自宅療養中にもイタリアに買い付けにいかれたそうで、恐れ入ります。SODとこの前向きな姿勢が病を蹴散らした一因でしょう。「SODの話を先生にしましたら、ご存知なくて成分などパッケージに表示をメモされていましたから、丹羽先生の本を読まれるとわかるかもしれないですよ、とお教えしました。それくらい先生方が驚かれたんです。私のデータは珍しい症例として論文に記録されたくらいですから。これもすべてSODと丹羽先生のおかげです」
   そうおっしゃる北島さんはこの病気を機にようやく都心のオフィスを引き払いました。と言ってもお仕事をやめたわけではなく、オフィスをご自宅に移しただけ。通勤のストレスをなくして今もデザインのお仕事をされています。「ただ、3ヶ月前に左足の股関節の軟骨がすり減りまして、手術したんです。今はリハビリ中です。でも、SODのおかげで術後の回復が驚くほど早く、またしても先生方を驚かしています(笑)。今も2ヶ月に一度、血液検査に行くのですが、そこでも血液がさらさらで、パーフェクトだそうで、どうしたらこんなに完璧な血液になるんですか、教えてください、と言われるんですよ」
   北島式SODの活用法は、通常は1日に4、5包で、疲れたなと思ったら7、8包、そして風邪をひいたら10包飲むそうです。「でもね、SODを飲むようになってからなかなか風邪をひかないんですよ(笑)。ですから、ひきそうだなと思ったら10包ですかね」
 
   そうして北島家ではお嬢さんとお孫さんもSODを愛用されています。「孫が私と似ていてアレルギーがあるんです。皮膚科に通っていたんですが、ステロイド塗ったあとの肌が白く薄くなったんです。それで病院にそのことを相談したら、日焼け止めクリームを塗ってから日焼けをしてくださいと言われて、それってねぇ、あんまりだすよね。そんなこんなで娘が悩んでいたのでSODを勧めました。最初はまずいから嫌だと言っていたのですが、ジュースに混ぜてのむようになってから肌がどんどん治ってきたんです。それまでは乾燥肌というかサメ肌でがさがさしていたのに、つるつる。一緒に飲み始めた娘の肌まできれいになったと喜んでいます」
   お嬢様も北島さんと同じモデルの道を歩まれているとか。モデルさんに肌のトラブルは大敵。ちょっと荒れが気になるときも、SODを飲むと翌日つるつるになるので手放せないそうです。
   北島さんの輝かしい人生に寄り添うようにいつも病がありました。乳がん、骨の手術、子宮摘出、悪性リンパ腫、股関節手術と大きな手術、闘病は、ともすればくじけてしまいます。それを飄々と乗り越えてこられた北島さん。心から尊敬します。「私はSODという戦友がいますから。もう、病院は必要ない、SODの量を調節すればいいと確信しました。今もリハビリ中で大変なのですが、なんとしてでも、もう一度、パンプスをはいて、自分の足で歩いて、都心にお買い物に行きたいんです」
   とほがらかにおっしゃるその声はどこか丹羽先生に通じるものを感じます。かっこいいというのは北島さんのような女性のことをいうのでしょう。生き方、心意気、すべてがかっこいいです。
   長々とインタビューにお答えくださってありがとうございました。
 


注1:リツキサン
   アメリカで開発された悪性リンパ腫の一種、非ホジキリンパ腫に効果的な薬。2001年に日本でも認可され発売。リツキサンと結合したリンパ腫細胞に対して免疫反応が強く起こり、貧食細胞(マクロファージ)がリンパ腫を異物と認識して、CD20という目的のあるタンパクにだけ結合するので、従来の化学療法に比べ、正常細胞への副作用が少ないのが特徴です。

 


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