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 重度の膠原病(結節性多発動脈炎)が
 SODと薬の併用で劇的に好転!
  埼玉県 飯田 智さん (75歳) 男性

 
  
1か月入院も原因不明!症状はどんどん悪化
 
   埼玉県の川口市、閑静な住宅街の一角、車を2台停めてもまだ余裕のお庭つきの一戸建てに弟さんと生活していらっしゃる飯田さん。日本の高度経済成長を支えた世代で、現在75歳。肌の色艶も良く、お話もしっかりとしていて、ご病気だったことなどみじんも感じさせません。若い時は仕事一筋。大きな病気もなく、リタイヤまでは健康に過ごしてきたそうです。
   今回はそんな飯田さんのお宅におじゃましてお話をうかがいました。3歳違いの弟さんも同席してくださいました。「最初は、70になる前、急性の心筋梗塞になったんです。カテーテル治療をして一命をとりとめました。この時は、いつまでも元気というわけにはいかないことを痛感しましたね。その時にけっこうたくさんの薬を出されてね、今ものんでいるのですが、こんなに薬を飲んでいいのだろうかとは思いました」男の人は仕事をリタイアすると、急に老け込むという話しを聞きます。飯田さんも多分にそうだったのかもしれません。仕事をしていたときは食事も規則正しく食べていたのに、リタイアすると食べたり食べなかったり、不規則になっていたとか。さらに用がなければ外に出ないから、おのずと運動不足になっていました。
   そんなことを気にしながらも心筋梗塞から数年後、2012年 5月。新緑まっただなかのさわやかな季節でした。「すごく寝汗をかくんですよ。もちろん、身体もだるく、食欲がなくなっていった」
   間近で見ていた弟さんも「急に具合が悪くなっていった。顔色なんか鉛色だし、体重も10`くらい、一気に痩せたよね」
   始めは近所の病院で診てもらい、血液検査をかなり細かくしたそうです。しかし、原因が分からず、その間に体調はどんどん悪化していきました。そして、もう立っていられないくらいになってから大きな病院に緊急入院しました。「1か月余り入院したんですが、もう気分が悪くて、病院食も受け付けませんでした。点滴で生きていたんですよ」
   それでも原因や病名は判明しなかったそうです。「病名もわからないまま入院していても仕方ないし、なんかもう半ばあきらめていたんです。それくらいやる気も、生きる気力もなくなっていました。何も考えられなかった」
 
   自身であきらめ年内は持たないかも
 
   今の病院は、保健の点数の関係上、病名も判明しない患者さんを1か月以上は入院させてくれないと聞きます。やはり、飯田さんも病名不明のまま、1か月で退院することになりました。その時に、一人の医師から「ひょっとしたら膠原病かもしれないから、専門の病院で診てもらったほうがいい」と言われたのです。
   帰ってきた兄をみた弟さんは、「驚きましたよ。だってね、7月の暑い時に、帰ってきて、寒い寒いと言って冬のジャンパーを着るんですよ。ガリガリに痩せて、ああ、これはただ事じゃないと思いました」
   すぐに紹介されたリウマチ膠原病の専門クリニックにいきました。そのクリニックで、ようやく膠原病の一種、結節性多発動脈炎と診断されたのです。
   この病気は、難病情報センターによると、血管の動脈壁に炎症が出る疾患だそうです。動脈は全身の臓器に分布するので、多彩な臓器症状が出るとか。発症原因は不明ですが、50代の男性に多いそうです。体重減少、筋肉、関節痛、しびれ、皮膚潰瘍、腎機能悪化、腹痛、下血、脳出血、脳梗塞、高血圧などの疾患が表れるとか。治療法は、最初、大量のステロイドを投与し、その後、少しずつ減らし、1ヵ月後に免疫抑制剤のサイクロフォスファミドの点滴を4〜6回繰り返すそうです。腎機能が低下したら、これに血液透析をするとか。また、腸閉塞などでは開腹手術にいたるそうです。そうしてどのような経過をたどるかというと早期に診断し治療をしないと非常に予後の悪い疾患です≠ニ記されています。また、早期発見早期治療では完全に治癒する症例も存在します≠ニ、がんに関する西洋医療の見地と非常に酷似したあいまいな記載がされていました。
 
   いずれにしても、この時の飯田さんの症状から、決して早期発見早期治療ではなかったはず。予断を許さない重症の状態だったと思われます。
   それは検査の結果が如実に物語っていました。
   自己免疫疾患(本来なら、免疫とは細菌やウイルスなどから自分自身を守ってくれる大切な役割をしているのですが、免疫疾患にかかると、免疫系が自分の体を攻撃するようになり、全身にさまざまな炎症を引き起こします。難病情報センターHPより)を表す数値、MPO-ANCA(抗好中球細胞抗体)が平常で3.5未満であるはずなのですが、なんと飯田さんは196もあったのです。他にも、体内に炎症があったり、組織の一部が壊れていたりすることを示すCRP定量が、平常で0〜0.3のところなのに11.66もの高い数値を示していました。さらに炎症を伴う病気の有無を調べる赤血球沈降速度血沈60分値の値が、平常で0〜10のところが、98もありました。(表1検査結果詳細参照)
   「この数値を見た先生も、これは異常です、と驚き、これだけ悪いと大学病院のような専門の大きな病院に行ったほうがいい。紹介状を書くからすぐに行きなさい、と言われたんです。でもね、そんなところに行って、抗がん剤で苦しむのはいやでね。実は私の兄が肺がんで亡くなっているんです。その時に抗がん剤の恐ろしさをいやというほど目の当たりにしました。だから、何をやってもだめなら、家にいたほうがいいと思ったんです。半ばあきらめていましたね。ステロイドの薬でなんとかしんどいのを抑えてもらって、家に帰ってきましたよ」
   飯田さんが抗がん剤はいやだと思っていたのには、もうひとつ理由がありました。それは、腰痛などで通っていた整骨院の先生の話でした。その先生は、とにかくケミカルな薬には必ず副作用があるから一切飲むな、抗がん剤に至っては毒薬だから、絶対にダメ、何の効果もないどころか悪くなると言っていたのです。そして、腰痛のときからSODを勧めていて、実は、飯田さんもひと箱購入していたのでした。「病院から大量の薬をもらったのはいいけど、こんなのを本当に飲むべきなのかどうかわからなかったので、整骨院の先生に薬ごと持って行って聞いたんです。そうしたら、さすがに医学的なことだから、自分では判断せきないから、自分が尊敬する丹羽先生に聞いてみる、と。それまでは薬と併用してSODを飲んだほうがいいと言われたんです」
   そうしてSODを飲み始めたのが病名が判明した直後、7月中旬のことでした。
 

【表1】血液検査結果表

※飯田さんの検査数値

項目名 基準範囲内 2012年07月09日 2012年08月09日 2015年01月15日
CRP定量   0−0.3

11.6

0.01 0.03
白血球数 3300−9000 10200 11100 7100
赤血球数 430−570 352 398 443
ヘモグロビン 13.5−17.5 10.2 11.9 13.8
ヘマトグリット 39.7−52.4 33.1 38 43.7
血沈60分値   0−10 98 14 8
 
   毎日15包のSODで20日間で数値が変化!
 
   2012年夏、この時、確かに、研究会宛に、整骨院の先生から結節性多発動脈炎の質問をいただきました。
   その質問を持って新横浜に診療にいらしていた丹羽先生にアドバイスをいただきました。そして会報163号に掲載したのです。その質問のなかにあった患者さんが今回お会いして話を伺った飯田さんだったのです。何か不思議な縁を感じます。
 
   ここに、会報163号の記事からの抜粋を紹介しましょう。
 

   整骨院の先生からの質問で、結節性多発動脈炎で、イムラン50_、プレドニン5_を1日2回服用中の患者さんにSODは有効かと。丹羽先生に聞いてみました。「これはね、血管が詰まってくる膠原病の一種だと思ってもらえばいい。血管が固まると末端から腐ってくる。腎臓の血管が詰まってくると尿毒症を起こして死に至る。だから、イムランやプレドニンくらいの薬は飲まないといけない。イムランというのは抗がん剤の一種です。この病気になると普通の病院では、他にも免疫抑制剤やステロイドの点滴や経口投与はやりますね。当然、身体にいいものではないけれど、必要悪で飲まないと死んでしまいますから。もしもSODでなんとかしたいのなら、5包や6包ではだめ。15包くらい飲みなさい。そうしたら、今飲んでいる薬を減らすことができますよ」
   この会報を読んだ飯田さんは、丹羽先生のアドバイスを忠実に守り、毎日欠かさずSODを15包飲んだのです。「SODは確か、退院して10日くらいしてからだから、7月20日頃から飲み始めたと思います。その前に、病院から出されたイムラン(免疫抑制剤)とプレドニゾロン(ステロイド)を飲んでいたのですが、イムランは合わなくて、飲むと気分が悪くなっていました。なのでSODを飲み始めてしばらくしてから飲むのをやめましたね。それでもイムランは処方され続けていたのでクリニックの先生は飲み続けていると思っていますが」
 
   こうしてSODを飲み始めた飯田さんでしたが、正直、そんなに期待はしていなかったといいます。というのも、飲み続けて、劇的に体感できるような効果を感じなかったからだそうです。ところが、8月、2度目の血液検査の結果を見て、誰もが目を見張ったといいます。その結果が表の数字(表1参照)でした。CRP定量が11.6から0.01に、血沈60分値が98から14に下がっていたのです。

   MPO-ANCAの数値に至っては、7月に196もあったのが10月には35.8、翌年3月には4.0にまで下がったのです。「先生もびっくりしていましたよ。こんなに早く効果が出たのは初めてだと喜んでくれました。でも、私は、SODの効果だと確信しました。やはり結果が出ると嬉しいものですね。気持ちにも張りが出てきた。そりゃそうですよね、生きる希望が持てるようになったんですから」
   弟さんも、「退院した時は、姉たちとも言っていたのですが、年内は持たないなって思っていました。それが、みるみる元気になって、体重も元に戻ったし、SODはがんでも治しちゃうんだからすごいね。あのままSODも飲まないで、医者の言うとおりに大きな病院で治療していたら、薬で体が持たなかったと思いますよ」と感心しきり。

   どん底から3年。「検査のたびに良くなっていって、今じゃほとんど正常値ですからね。SODと丹羽先生には感謝です」たまに行う心筋梗塞の検査も、すべて異常なしだとか。今では病院から出される薬も、心臓のお薬と、ステロイドだけ。ステロイドも最初は5_だったプレドニゾロンが1_になり、丹羽先生にうかがったところ、それくらいなら害にも薬にもならないとのことでした。
   あれ以来、健康には気を付けているという飯田さん。「でもね、一日に2万歩とか歩いちゃうんですよ。やりすぎですよね」とあきれる弟さん。
   対する兄は「でもさ、こんな病気で2万歩も歩く人いないよ。自分でもすごいと思いますよ」笑顔が絶えない仲のいいご兄弟です。
   それにしても、3年前にご質問いただいたことが、回りまわってこのような形でお会いできたこと、ほんのわずかですがお役にたったことを実感できて幸いです。改めて、会報作りに誠心誠意を込めたいと思います。

 


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