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 10年ですっかり消えていた悪性リンパ腫!
 
漢方とSODに賭けた命
  静岡県 生田真理子さん (64歳) 女性

 
   『あっ、おかしい。これはいったいなに?』
 
   足の付け根の部分(太ももの付け根)に、何か小さなしこりができていることに気づいた真理子さん。今から10年前、2007年夏のことでした。
   おかしいなとは思ったのですが、数日前につまづいて足を痛めていたので、まあ、その影響で足の付け根にきたのかもしれない、くらいに考えていました。というのも、真理子さんは子供の頃から、運動後にリンパが腫れることが時々あったのです。いつも数日すると治っていたので、今回もそうだろうと思っていました。
   いちおう念のために近くのかかりつけの医院に行って先生に相談したときも、大したことはないと思うからしばらく様子を見ましょうと言われたのです。「ところが1か月たってもしこりがなくならなかったので、思い切って伊東の私立病院に行ってみたんです。そうしたら、先生からリンパ腫の疑いがあると言われたんです。それで、血液内科のある沼津の大きな病院を紹介されました」
   検査の結果は、悪性リンパ腫のステージUでした。先生からはすぐに抗がん剤治療と手術を勧められたのですが、納得のいかなかった真理子さんは、県立のがんセンターにセカンドオピニオンを求めたのです。「やっぱり同じ結果でした。ショックでしたね」
   このセカンドオピニオンは、近藤誠先生の本にもある、金太郎飴オピニオンのようです。同様の治療方法の病院にセカンドオピニオンを求めても、結果はほぼ同じことが多く、治療法も同様だというもの。「私、抗がん剤治療だけはやりたくなかったんです」
   そうきっぱりという真理子さん。理由をたどっていくと、なんと、SODにつながっていったのです。「もう20年以上前からなのですが、知り合いに紹介されて神奈川の漢方医に通っていまして、その先生にSODを勧められて飲んでいたんです」
   煎じて飲む漢方薬とSODを20年以上飲む続けていたという真理子さん。どこかに特病があるのかと聞けば、子供の頃から虚弱体質だったことから、未病のために漢方を選択したという答えが返ってきました。未病とは漢方療法の根底にある、病を予防する、未然に防ぐための療法です。なので病気になってから治療する西洋医療には疑問を感じていたのです。「漢方の先生のおかげで、大きな病気にもならずに元気でいられました。ところが、悪性リンパ腫が発覚したとき、実は漢方もSODも2年間飲んでいなかったんです。やっぱり、と後悔しました」
   というのも、真理子さんは地元で教室を持っている伝統工芸の手芸作家さん。そのころちょうど本を数冊出版し、あちこちに先生として招かれ、講演もしたりして、売れっ子でした。「リンパ腫になる2年くらい前から、急に忙しくなって」
   まだ50歳になったばかり。体力的にも精神的にも充実していたのでしょう。多少の無理もきく年齢でした。「調子に乗ったんでしょうね。漢方の先生のところにも2年くらい行ってなかったんです」
 
   僕の漢方は飲み忘れてもSODは必ず飲みなさい
 
   そんななか発覚した悪性リンパ腫でした。
   まずはがんセンターで内視鏡検査を兼ねたリンパ腫切除を行いました。これは検査を兼ねているので彼女も納得しての治療でした。「でもね、3つあったリンパ腫のふたつが、鼠径部(足の付け根)大動脈にくっついていて取りきれなかったんです。当時の技術ではとれないものだったそうで、抗がん剤で小さくするしか方法がないと言われました。すごく悩みました。といのも、やはり抗がん剤は怖いものじゃないですか。私の周りで、がんになって、抗がん剤治療を始めたとたんに急にやせ衰えて、あっけなく亡くなった人が何人かいたんです。それを見聞きしていたし、漢方の先生からも抗がん剤は怖いというのを聞いていたものですから」
   がんセンターの先生は、すぐに始めれば進行を遅らせることができるとか言ってくれたそうですが、しばらく様子を見る、というのが当時の彼女の選択でした。「そうしたら半年くらいして、残っていたリンパ腫がまた腫れてきたんです。急いでがんセンターに行ったら、だからすぐに抗がん剤治療をしろと言ったじゃないですか。すぐに手術しますと言われたんです。入院の日も決められました」
   2008年5月のこと。リンパ腫発覚から半年後のことでした。「このときに、このまま入院して手術をして抗がん剤治療していいのか不安になったんです。今まで見てきた人たちのように、弱って死んでいく運命なのかと。病院にいるときは、先生のお話しがもっともだと思ってしまうのですが、家に帰って冷静に考えると、いろいろ迷い悩むんですよね。がんと診断されたら、誰でも不安に駆られ、混乱し、迷い悩むのは当たり前ですよね」
   このときに漢方の先生に相談しようと思いたった真理子さん。先生がこれは無理だというならあきらめようと思っていたそうです。「先生のところに行ったら、真っ先に、2年間来なかったねと言われました。だから発症したんだと責められるかとドキドキしていたら、先生は、まず、抗がん剤は絶対にいけないといい、僕の薬とSODで10年の命は保証する、と言ってくれたんです。もう、それだけで心が救われました。虚弱体質を改善してくれた先生ですから、信頼していましたし。その先生が、念を押しておっしゃったのが、僕の薬を忘れても、SODだけは絶対に忘れないで飲みなさい、という言葉だったんです」
   漢方と一緒に飲み始めたSODが、そんなに大事なものだったんだと改めて認識したそうです。「漢方と1日6包のSODを飲み始めたら、1週間くらいで腫れがひき始め、痛かったお腹も痛くなくなったんです。それで決心がつきました。がんセンターに行って、先生に手術はやめておきます、と言ったんです。そしたら、先生、一瞬、あなたはいったい何を言っているんだと言わんばかりに目を見開いて驚かれ、隣でメモを取っていた看護師さんも、はっ?!と言ってペンを落したくらい、みなさん驚かれましたね」
   そのときの先生からは、手術をしないで放っておけば余命5年あるかないかだと言われたそうです。それでも、自分は体が弱いから、抗がん剤治療はやりたくないと伝え、すべてをキャンセルしてがんセンターを退出してきた真理子さん。「そりゃ、悩みましたよ。本当にがんセンターの治療をやめてよかったのかどうか、最初のつちはちょっとした変化にびくびくしながら過ごしていました。でも、漢方の先生とSODを信じて賭けたんですから」
   幸いにもそれ以来、足の付け根に違和感はなく、体調も良く、がん患者だというのを忘れるくらいでした。もちろん、漢方の先生には月に一度診てもらっていました。「そんなときに、漢方の先生が亡くなられたんです。リンパ腫が発覚してkら9年後のことでした。そもそもお歳でしたから、私にあのとき10年は僕が保証するとおっしゃったのは、ご自身の寿命を考えておっしゃったのでしょうね」
   この10年間、検査すらしてこなかった真理子さんでしたが、ひとつの区切りが訪れたと感じ、思い切って10年ぶりにがんセンターの門をくぐりました。「リンパ腫がどうなっているのか検査をしに行ったんです。そうしたら、ここで先生の勧める治療をするのなら検査をするけど、検査だけして治療をしないのなら、検査はできません、と言われたんです。もう、信じられないですよね。患者はモルモットかと思いました。これが最先端のがんセンターかと疑いました」
   幸いにも近所のお医者さんが別の病院に紹介状を書いてくれて、検査をすることができました。こちらも有名な大学病院でした。「3日間入院して徹底的に検査をしていただいたんです。東大病院の病理検査にまで出してもらったんです」
   これ以上はないというくらいの検査をした結果「どこにもなにも異常がなかったんです。大腸にからんでいたというリンパ腫も、付け根のしこりも、がんの組織はどこにも見当たらなかったんです」
   結果が出るまでは、何かあったら、今回は頼りの漢方の先生もいないから、覚悟はしていたと言います。余命5年が10年元気に生きたんだからと言い聞かせていたとか。それが、無罪放免というお達しだったわけです。「10年前に2か所の病院で悪性リンパ腫のステージUという診断だったことは先生もご存じなのに、その先生が言ったことは、きっと前の診断が誤診だったんでしょうね、ですよ。もう笑っちゃいますよね。天下の国立がんセンターで出た診断が、誤診だったんでしょうね、で片づけられるんですから」
   逆を言えば、それくらいあり得ないことだったのかもしれません。悪性リンパ腫が何もしないで消えることは西洋医学的にはあり得ないことですから。もちろん、真理子さんは、先生に漢方とSODを服用していたことは伝えていませんし、伝えてもそれで治ったとは信じてくれないと思ったそうです。
 
   SODを選択したのは先見の明があった
 
「私はつくづく運が良かったと思います。神奈川の漢方の先生とSODに出会えたんですから。別の漢方の先生に、西洋治療じゃなく漢方とSODを選択されたのは、先見の明がありますね、抗がん剤治療をしていたら、今頃は生きていないでしょうね、と言われました。本当にそう思います。ありがたいと」
   今は体調に合わせて量を調節しながらSODだけを飲んでいるという真理子さん。すっかりSODマイスターになられています。ご主人も、お姉さま夫婦も、息子さん夫婦も、みなさんSODが常備健康食品になっているそうです。「手芸の生徒さんたちや、お友達にも勧めています。自信をもって勧められるものですから、途中、いろいろ悩んだり迷ったりもしましたが、私は、自分の選択は間違っていなかったと確信しています。ただ、こういうのは個人差もありますし、なによりもご家族や親せきなど、身近な人たちの理解が必要ですよね。私は主人、兄、姉、息子の後押しがあってこの治療法を選択できましたから、生かされているなと思います」

 


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