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先輩アナウンサー
逸見政孝さんの死が教えてくれたこと

 

 
「逸見さんが記者会見で私の病気はがんです。がんと闘ってここに帰ってきます≠ニおっしゃって、そのあと報道フロアにあいさつにいらして、握手をしたのですが、そのときの痩せ細った手の弱い感触を忘れられません。と同時に、あんなにか細いのに手術をすると聞き、驚きました。しかし、執刀医は、当時、がんにかけてはゴッドハンドと言われていた権威中の権威でした。逸見さんはその先生にすべてを任せたのです。
   そのときの二人のやりとりの記録があります。これも見事なものです。先生、嘘は言っていませんよ、嘘は。逸見さんが先生に「この手術をすれば、私のがんは治りますか?」と聞いたんです。すると先生は「それは神のみぞ知る。でも、私は、逸見さんが任せると言ってくださったら、今までのすべての知識と経験をそこに終結して、全力を尽くします」と答えました。逸見さんはその言葉にほだされたんですね。世界の権威と言われている先生が自分のために全力を尽くしてくれると。その言葉に思わず「じゃあ、先生、よろしくお願いします。残りの人生は任せます」と。そうして手術は行われました。手術が終わった直後、フジテレビの当時の幹部とドクターの会食会がありました。私はその様子を後で聞きました。ドクターは得意満面だったそうです。「手術は完全にうまくいきました。きれいにがんの病巣を全部切り取りました。わっはっは!」と高笑いしていたそうです。すさまじい量の病巣を切り取ったそうで、それを聞いていた幹部たちは首をかしげたそうです。そんなに切って大丈夫なのかと。結果的に逸見さんは、その後、一切回復することなく、そのまま亡くなられました。
   これが西洋医学の先端にあり、権威と言われた人の処置だったんです。私は何かおかしいんじゃないかと、納得ができませんでした。でも、そのドクターを責める気にはなれませんでした。彼はゴッドハンドと呼ばれ、多くの症例を扱ってきた、信頼の厚いドクターです。何によって成功を治めたか、どれはがんを切ることでなんです。がんをきれいに切る技術をどんどん磨いて、彼はそれだけの地位を得たわけです。ですから、患部を切ることに人生を賭けていました。がんを切る技術には長けていました。でも、彼は何かを見失っているのではないでしょうか。彼は逸見さんの一体何を見ていたのでしょうか。彼は逸見さんのがん細胞しか見ていなかったのでは、という思いが消えませんでした。
   がん細胞と向き合うことも大事かもしれません。ですが、人間の命もそこにはあるんですね。がんは切り取った、でも、死にました、といのは正しい医療といえるのでしょうか。私はその頃から、ひらがなで書いた「いのち」、このことばをずーっと大事にするようになりました。「いのちに医療は向き合っているか」について悩みました。病気に向き合っているだけではないか、と思いました。それから「いのちに向き合う医療は何なのか」をずっと探していました。そのときに私の父親ががんになりました。2005年のことです。肝臓がんになりました」
 

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